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10年目の3.11
現場監督の金子です。
震災から10年の月日が流れました。皆様はこの10年どのようにお過ごしでしたでしょうか?

私個人の話しになりますが、震災が起きた当時は今とは全く別な職業でした。
世の中が復興に向け頑張っている姿を見て、自分にも福島のために何か出来ないかと考えた時に建築業という職業を選びここ梅津工業の門を叩いた記憶を今でも覚えています。

それから月日が流れ、去年は蓬莱小学校体育館の耐震補強工事、そして今年は大笹生に新しく建設している道の駅の防災倉庫建築工事を担当しました。
福島の復興工事としては、ほんの一部分で、決して大きな工事では無いのかも知れませんが、ようやく福島のために何か出来た気がして、私にとっては大きな出来事であり、誇りに思いました。
その防災倉庫には、災害の際に使用出来る毛布や乾パンなどを備蓄するそうです。

10年過ぎた今でも余震が続いているようですので、備えあれば憂いなし!
しかし、中の備品は使われること無く!平和に暮らして行ければと願うばかりです。

あの3.11震災で私自身の被害は何も有りませんでしたが、私の人生を変えた大きな出来事でした。

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度重なる災害の中で
2月13日(土)夜、福島県沖を震源地とする地震が発生、激しく揺れた。

棚の上の物が転がり落ち、3.11東日本大震災を思い起こすような揺れだった。
翌14日(日)、当社では朝から全てのOBのお客様に被害の状況の確認作業に追われた。
緊急性のある場合は、即座に対処しなければならない。
緊急性のある被害が1件確認された。急遽、工務のメンバーに休日出勤を依頼、応急処置を行った。
全てのお客様の安全確認は夕方までかかった。命に関わる被害は確認されず、胸をなでおろしその日を終えた。

私達、住まいに関わる仕事をする者は、人の財産と命に直結している。
人が安全に暮らすために家がある。改めて自らの仕事の重みを感じた日であった。

そして翌週の23日、今度は早朝より強風が吹き荒れた。
この日は天皇誕生日で祝日。何も被害がないと良いなと思っていた矢先、1本の電話が事務所に鳴りひびく。
ある小学校関係者からだった。
体育館の屋根が風でめくれて危険な状態にある。明日卒業生の謝恩会がある。このままでは行えない。何とか、応急処置してもらえないか。
この日は休日で、ほとんどの会社は電話がつながらない。やっと電話がつながったのが当社だったのだろう。
そこで2週続けて、工務のメンバーに緊急出勤を依頼。
強風の中、屋根に上がり応急処置を行った。卒業生にとっては一生に1回の謝恩会、ましてこのコロナ禍で充分な思い出づくりも出来なかっただろう。
せめて最後の思い出づくりが出来て良かった。学校関係者の方からも大変、感謝された。
良かった、良かった。工務のメンバーも嬉しそうだった。

この様に2週続けての災害対応に追われた。会社は公の器である。
社会から生かされている。社会の役に立って本望だなと実感した2週間だった。
また、気持ちよく即座に休日出勤に応じてくれた社員にも心から感謝したい。
今年始まって、まだ2か月を過ぎたところ。
大きな災害がないように、そして早くコロナが収束するように…祈らずにはいられない。


梅津寿光


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