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5年目の「3月11日」に思う…。
間もなく3月11日…東日本大震災から丸5年ですね。
この5年、皆様はどのような歳月を過ごされましたでしょうか?それぞれ思いは様々だと思いますが、本当に激動の5年でした。

5年前の3月11日は今年と同じ金曜日でした。
地震発生から時間が経つにつれ、とてつもない巨大な津波が町を襲う映像がテレビで映し出される。建物、人、車…容赦なく全てを飲み込む津波。
まるでモンスターそのもので、恐怖で背筋が凍る思いで立ち尽くしました。インターネット、携帯電話をもつながらず、安否の確認を取れない方も多かったと思います。交通網はズタズタで、ガソリンを初めとした物流は完全にストップしました。
そこに「原発事故」が輪をかけます。ちょうど年度末で、どうしても遅れられない工事が数件ありましたが、関東、東北にある住設工場は被害を受け操業停止。
その為、被害の少ない関西に発注をかけます。発注された住設機器は、道路被害を考えて、関西から北陸道を通り、山形から福島入りのルートをたどります。ところがトラックの運転手が放射能が怖くて福島県に入れないと言い出す始末。やむなく当社で、山形と福島の県境まで行って、住設機器を引き取りに行った記憶があります。

震災から数か月後、福島県からの発注で、被災者のための仮設住宅の建設に着手しました。
当時は菅直人総理大臣。着手してしばらくして、突然、お盆前に全ての仮設住宅を完成させると発表したものですから私達業者は大変です。県内外から出来る限りの職人を集め、ホテルを準備し、どうにか期日まで完成させることが出来ました。
勿論、被災者の方はあづま体育館等県内のあちこちの施設で約半年の間避難生活を余儀なくされていて、もう限界に近かったと思います。

あれから5年、街の風景は何事もなかったかの様に平静さを取り戻しています。福島市の場合、住宅除染もこの3月でほぼ終了します。
そんな中先日、5年前当社で建てた仮設住宅の前を通りました。そこには、当時と何も変わっていない状況がありました。いつか故郷に帰れる日を願って悶々とした日々を送っている被災者の方が、今でも多く住んでおられます。
今後帰宅を許される地域でも、もう家族はバラバラで一緒に住めるかどうかわからない。みんな、避難先で生活して、友達が出来て自分を囲む社会が出来上がっていますからね。5年と言う時間の大きさをしみじみ感じます。


梅津寿光