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世界遺産「富岡製糸場」を訪ねて
先日、世界遺産の「富岡製糸場」に行く機会がありました。
丁度この日、国がここの建物を国宝に指定すると発表。マスコミも含め多くの人で賑わっていました。近代国家への準備を急ぐ明治政府の肝いりで進められた絹糸産業。何せそれまで産業と言われるものがないのだから、工場建設も技術の会得も全て手探り。建物の設計も糸取りの技術指導もフランス人に依頼、欧米の助けを借りて勉強し、とにかく必死で会得するしかない。
建物は木骨レンガ造り、瓦職人が焼いたレンガを木の柱の間に積み上げる。さぞかし当時の日本の職人は戸惑ったでしょうね。そして内部は更に画期的でした。世界最大規模の製糸場でありながら、柱が一本もない。小屋組みに「トラスト構造」を取り入れ、建物の重さを、天井のその三角形の梁で支える。製糸工場としての作業効率を考えた工法に私も感心しました。当時の大工さんも目を丸くして驚いたことと思います。

さて私はてっきり、ここがあの悲劇の「あゝ野麦峠」の舞台となった製糸場かと思っていましたが、まるっきり勘違いでした。
ここで働いていた女工さんは、選ばれた人で、身分が高く裕福な家庭の娘さんが多かったと言います。
政府直轄で欧米人が指導者の職場です。週に一度の休日、そして8時間労働、賃金も技術習得とともに上がっていくシステム。夜は勉強の時間も設けてありました。明治という時代のなかでは、非常に恵まれた職場環境だったのですね。
そして技術を身に付けた女工さんたちが、やがて全国に散らばり、その技術を広めていく。福島では「川俣町」の絹織物がとくに有名で、世界最高水準の品質を誇っていたといいます。我々に色々案内をしてくれたボランティアのガイドさんも、川俣町の存在を知っていました。
ここ福島でも私の幼少時代は、ほとんどの農家が、蚕をやっていましたね。「蚕様」と言って様づけで呼び、年に数回蚕を育てて、繭にして出荷する。貴重な収入源だったと思います。
それが、中国労働力のコストの安さに負け、現在、日本国内では、養蚕農家は壊滅状態。国産の繭を扱う製糸場は、全国に2か所だけとなり、やがてなくなるだろうという事です。日本の産業振興としての歴史的使命を果たし終えたという事でしょうか。

時を超えた文化遺産であり世界遺産の「富岡製糸場」…今日の日本の産業の基礎をなした功績に敬意と感謝を表します!

梅津寿光