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時代の節目に立つ!
平成の幕が閉じます。1989年1月7日、突然テレビ画面に「天皇崩御」のテロップが流れました。
一斉に日本中が重い雰囲気に包まれ、通常のTV番組、CMは全て中止、店舗も営業自粛、日本中が喪に服した数日間でした。
あれから30年、実に多くの歴史的な出来事がありました。いくら紙面があっても足りません。
そこで、私なりの「平成の記録・ベスト3」を選択してみました。

先ずは「インターネットの普及」です。
目の前のパソコンが瞬時に世界に繋がってしまう。インターネットを通して、何でも知ることが出来、売ったり買ったりもできる。
お金もネット決済。そこに携帯電話が融合し、瞬く間に人に溶け込んでしまいます。まさに新しい世界の誕生です。
今、世界の大富豪の第1位にアマゾンの「ジェフ・ベゾス」が、第2位にマイクロソフトの「ビル・ゲイツ」と名を連ねていますが当然の結果です。
次に選んだのが「バブル経済の崩壊」です。平成元年、日本のバブル経済は最高潮でした。
お金はジャブジャブあまり、土地は高騰、株価は史上最高の38,915円を記録します。
ジュリアナ東京には連日多くの若者が押し寄せ、ワンレン・ボディコンにお立ち台、日本中が浮かれていた時代です。
翌年、それが一気に崩壊します。大蔵省は総量規制に政策転換、金融機関は貸付金の回収を急ぎます。
その結果多くの企業が倒産し、不良債権は100兆円に達しました。失われた20年への突入です。
今もこの後遺症は続き、デフレ社会から脱却出来ずにいます。戦後から続いた経済成長が減退し、停滞期へと転換した。
これが平成時代の経済でした。

そして最後は、平成23年3月11日に起こった東日本大震災です。
死者、行方不明者数18,430人。黒い巨大な生き物のような津波が町を飲み込むTVの映像は、現実とは思えない程ショッキングでした。
加えて、福島原発事故…。原子炉のメルトダウンにより大量の放射性物質が山に街に降り注ぐ。
除染という言葉を初めて聞きました。多くの被災者が今尚避難を強いられています。

以上が私の独断と偏見で選んだ「平成の記録・ベスト3」です。
この平成という時代、私にとっても、まさに人生ど真ん中の30年でした。
皆様に支えられながら、会社、社員と共に新時代を迎えられる事に心から感謝します。
「令和」の時代も皆様に役立つ会社でありたいと努力して参りますので、宜しくお願い致します。


梅津寿光
沈潜の世界へ!
最近めっきり本を読まなくなりました。
何か面倒くさい。スマホやパソコンを覗けば大量の情報が浮遊している。
知識を得たり調べるには不自由しない。
画像や動画は、好奇心を大いに満たしてくれる。
しかし、読書とは全くの別世界です。

沈潜(ちんせん)という言葉があります。物事に深く没頭するという意味です。
忙しい毎日、膨大な情報洪水に流されるのでなく「沈潜する」時間を持ってみる。
本を読んで著者と一対一で対話をする。あるいは自分と対話をする。
作品の本質に迫り、自分の深い部分や心の奥底に沈んで潜っていく感覚です。
海を潜る人の感覚に似ていると言います。
海面から3mも潜るともう外界の音は聞こえません。わずかな光が差し込み、かえって太陽の光の存在を大きく感じます。
沈黙の世界の中で、ゆったりと泳ぐ魚に出会ったりすると、思わず声を上げたくなるほど感激するそうです。
沈潜…その様な状況に身を置くと、今まで聞こえなかった声や、新たな発見に出会えるのです。

読書の醍醐味の一つに疑似体験があります。
村田諒太というボクサーをご存じかと思います。非常な読書家でもあります。
ロンドン五輪で金メダルを獲得、その後プロに転向しWBA世界ミドル級王者に輝きました。
日本人には不向きと言われる重量級での世界王者獲得は大いなる快挙でした。
彼は世界王者になれたのはこの本のお陰と一冊の本を挙げました。
タイトルは「夜と霧」。
著者は、第二次世界大戦中ドイツに住んでいた精神科医の「ヴィクトール・E・フランクル」です。
ユダヤ人として捕えられ、家族と共にアウシュビッツに送られたフランクル。
そこは、生死が重なる過酷な場所です。
衰弱して命を落とす者、発狂してしまう者、極限の状態が繰り広げられます。
ナチスの係官がユダヤ人の行列に向かって一人ひとりを指差します。
「お前は右、お前は左」片方はガス室行きで、片方はまだ働けそうな人間だと振り分ける。
係員の指先一つで自分の人生が決まる。そんな残酷な話が次々と出てきます。
全部実話であり、著者は家族の中で唯一生き残ります。
精神科医として、フランクルはその状況を克明に描きます。
人間の命とは?なぜ人間はこれほど残虐になれるのか?そんな極限の環境でも理性を保つ人とそうでない人の違いは?
極限状態の中で問いかけた著者の言葉は、もはや第一級の文学であり哲学書として高く評価されています。
このような極限状態を疑似体験した村田諒太選手は「どのような状況でも耐えられる強い自分になった」と語っています。
時にはSNSを絶ち、本に向き合う。
しかもそれは、良い本でなければ意味がない。
時代を超えて読み継がれている名作を手に、いざ沈潜の世界へ!


梅津寿光
チキンラーメンの奇跡!
NHK朝の連ドラ「まんぷく」をご覧の方も多いと思います。
日清食品の創業者安藤百福が世界で初めて作った即席ラーメン誕生の物語です。
安藤氏が「チキンラーメン」をこの世に生み出して60年。
今や即席麺が世界で消費される量は年間で約1000億食。まさしく食文化の革命を起こした人です。
安藤氏が即席ラーメンを世に送り出した経緯を少し紹介します。

先ず、即席ラーメンを発明する頃の安藤百福は全財産を失っています。
当時から事業の才覚のあった彼は、メリヤスや幻灯機、軍用機のエンジン等を手掛け巨万の富を築いていました。
ところが、乞われて信用組合の理事長に就任すると、その5年後にその信用金庫が経営破綻。百福はその責任を取り私財を投げ打ち無一文になります。そんな逆境の中で、即席ラーメンの開発に取り組んだのです。
かつて理不尽な理由で投獄され拷問を受け、食事さえとれない日々を経験した百福、生きる為の食べ物の大切さは身に染みていました。
そして終戦!食べ物を求めて、闇市のラーメン屋台に長蛇の列が…。
「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」そんな思いが彼を即席ラーメンの発明に駆り立てたのです。
とは言え資金もなく、何もかも自分で行うしかありません。庭の片隅に小屋を作り研究に没頭します。
朝の5時から夜中まで麺を作り、ゆでて、失敗した麺を捨てる。ひたすらその繰り返し、気が遠くなる作業を続けます。
そして昭和33年ついに完成!百福48歳の時でした。
この年齢で無一文から世界初の即席ラーメンの開発という偉業を成し遂げたのです。
更に、彼は56歳の時に米国へ行きある光景を目にします。
現地の人は、紙コップの中にチキンラーメンを割って入れ、湯をかけフォークで食べている。それを見て、今度はカップヌードルを発明するのです。
百福はこう述べています。「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳でも新しい出発はある」とても勇気の出る言葉ですね。

百福は96歳でその生涯を閉じます。
訃報を受け、ニューヨーク・タイムズは社説で「ミスターヌードルに感謝」という見出しを掲げ、「安藤氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めた」とその業績を絶賛しました。
そして「この即席麺を会社の組織のチームで開発された奇跡と思っていたがそうでなかった。
安藤百福と言うたった一人の力で開発されたものだった」と驚きを表現したのです。
何か事を成す為に努力する。夢が大きいほど大きい壁にぶつかる。その壁を乗り越えるとまた壁にぶつかる。
その繰り返しで人生は進む。いつまでも、熱い気持ちであり続けること。それを教えられた安藤百福の生涯でした。


梅津寿光
活気あふれる街であるために。
2019年がスタートしました!皆様どのようなお正月を過ごされましたか?
私は、元日に近くの神社に初詣、翌日ご年始のため東京に出向き、久しぶりに上野をぶらついてみました。
上野は、私達の世代から見れば特別な場所です。
東北の玄関口として、上京の際も帰郷の際も全てここが始点であり終点でした。悲喜こもごも数々のドラマが生まれた場所なのです。

遠くは集団就職の列車が上野駅に到着、多くの若者が夢と希望と不安を胸にそれぞれの会社に就職、戦後日本の復興の大きな原動力となりました。
今では、東京駅が発着駅となり上野駅で降りる機会もめっきり減りましたが、私が学生の頃の思い出も一杯詰まっており、とてもノスタルジックな雰囲気を味わえる場所でもあるのです。

先ずは久しぶりにアメ横商店街へ行きます。
年末でもないのにかなり混んでいます。思うように前に進めません。
左右の商店からは威勢の良い掛け声が飛び交います。
そこで周りを見て気が付きます。何と通行人の6割以上が外国人です。
そういえば、来来(ライライ)という呼び声も盛んに聞こえます。
でも周りを見ると中国人、台湾と言ったアジア系ばかりでない。白人もいる。イスラムの人もいる。多国籍です。
活きのよいカニや、マグロなどの海鮮物にチョコレート…大きなだみ声で次々と売りさばくお兄さん。
ここには約400の様々な店が立ち並びます。アメ横の風情は変わらずとも客層は様変わり。
どうやら外国人は食べ歩きが大好きらしい。タコ焼き屋には大勢の外国人が並んでいます。
食べ物を売る店では、店先にテーブル、いすを設け、その場で食べられる工夫が目立ちます。
「何でもすぐそこで食べる」これがキーワードらしい。
明らかに訪日外国人を意識してのことです。
それもそのはず、今や外国人に一番人気のある観光スポットがここ「アメ横商店街」だと言います。
理由は「日本の下町文化を伝える活気あふれる商店街で、食べ歩きグルメが楽しめる」「食べ物、買い物、明朗会計、安全、アクセス」どれをとっても訪日客を満足させられる条件が揃っているらしいのです。

彼らの消費活動を「インバウンド消費」と言いますが、もはや彼らなしでは、日本の経済が成り立たない程の力を持っています。
日本のどの都市・町でもこの「インバウンド消費」が何としても欲しいのです。
私達が住む福島でも避けて通れない課題です。
2020年には五輪予選会場となります。外国人が魅力を感じる街づくりとは?
活気あふれる私達の街であってほしい!アメ横で強く感じたことです。
皆様今年もどうぞ宜しくお願い致します。


梅津寿光
新しい時代に向けて!
今年も間もなく暮れようとしています。
この一年、皆様にとっていかがでしたか?
私もこれからじっくり一年を振り返り、思いを巡らせ、反省をして新年を迎えたいと思っています。

さて、今年は2020年東京オリンピックに向けて社会が大きく動いているなと実感する場面が多々ありました。
その中の一つが、国が強く推し進めるキャッシュレス化です。
オリンピックを機に日本を訪問される多くの外国人の利便性を図るとしていますが、そんなに事は単純ではないようです。
消費税増税後にポイントで還元するなど、国はこのキャッシュレス化に必死です。
なぜもこんなに強力に…私なりにわかりやすく整理してみました。

まず現金を必要としないと店舗は人の省力化、あるいは無人化が出来、働き手不足を解消できます。
お金の流れが記録されるので、お金の管理も容易になります。
でもこれ国から考えると、不透明な現金資産を把握できるので、税金を抜け目なく徴収することが出来ます。

また現金強盗などが無くなり犯罪の抑止力になる。
買い物がとても便利になり、外国で物を買う時もいちいち両替する必要がない。もしかしたら世界統一の貨幣の誕生の可能性もある。
更に金融機関はマイナス金利が長引き、今までの様に人を置いたり、ATMを設置したりする余裕がない等々…。

しかし、どうしても加速しなければならない最も大きな理由があるのです。
それは、日本のキャッシュレス化が進まなければ、新しいビジネスモデルが生まれない事です。
例えばスマートフォンでQRコードをかざすだけで簡単に支払いが出来る決済サービス。
ここに集まる顧客情報は極めて貴重です。今、各社が先行投資をして、顧客獲得に躍起になっているのもこの情報が欲しいのです。
この情報を蓄積することによって新しいサービスと産業が生まれてくると言います。

電子商取引のAmazon、あらゆる情報に検索という流通方法を押さえたGoogle、友人の情報を流通させるFacebook、140字のテキストを流通させるTwitter等のプラットホーマー(商品、サービス、情報を集めた場所を提供する事業者)に日本の企業名はありません。
次の時代の新しいサービス、ビジネスの構築に向けて、この大きな可能性を秘めたキャッシュレス化が何としても必要…ここに大きな理由があるようです。
「日本が取り残されてしまう!」私も不得意ながら、来年は是非このキャッシュレス化に挑戦しようと思っています。

さて、今年も大変お世話になりました。どうか皆様、良いお年をお迎えください!


梅津寿光